「宗教」として決め付けたくなる心理

10年前にインターネットの可能性に出会った時、
怪しいな〜、オタクだね、宗教じゃないの?と心配されました。
それが今では、インターネットを知らない、出来ない、わからないのは、
「非常識」となりました。
『Noh Jesuと認識革命 その2』


新しい試みをしていると、相手のイメージが追いつかないため、
「怪しい」という言葉で片付けたり、
「宗教」や「オタク」という、良いイメージが無い概念で決めるける事によって、
イメージできない自分自身を正当化するという無意識が働くものです。


私は今、Noh Jesu氏の提唱する「認識経済」に賛同し、
現在の資本主義のプレートを否定せず、未来産業となりえる新しい産業であり、雇用を創出し、経済循環を活性化させる、成長エンジンになると確信しています。


これを知人に伝えると、10年前にインターネットの可能性を伝えていた時と同じか、
それ以上の抵抗を受ける事があります。

特に「宗教じゃないの?」という質問、心配を受ける事があります。

そういうときには、このように答えるようにしました。


「私は、今の日本経済、資本主義を立て直すために、何が必要かを考えています。」

「雇用問題が深刻です。爆発的に雇用を作り出す必要がありますよね?」

「あなたは宗教で、今の日本経済、資本主義を建て直し、雇用を創出できると考えていますか?」

「信仰と崇拝によって、爆発的に雇用が生まれ、日本経済が反転すると考えていますか?」

「僕は、無理だと思います。」

「だから崇拝や信仰をしていないし、宗教法人を作っていないし、株式会社として商品を作り、販売していくという資本主義、産業社会に則った活動をしています。」


「他にこの資本主義の危機を反転できるより明確な代替案、ロードマップがあれば、是非教えてください。」

「「認識経済」は手段であって目的ではないので、他により良いものがあれば、そちらをやりましょう」


全く新しい概念、イメージだからこそ、新しい産業となりえます。
ブームとなりえます。
爆発的に雇用を生み出す原動力になりえます。
今の危機をチャンスに反転させる道具となりえます。