ドルの通貨量

ドルの通貨量が膨大に増えて続けています。
それが具体的にどの位増えているのか、
それがひと目でわかるチャートを、高城剛さんのblogで見つけました。


高城剛さんのblogよると、
なんと2008年の終わり3か月で、200年分のお金を印刷している計算になるとの事です。


アメリカの消費力は全世界の2/3とも言われています。

グローバル経済はそのアメリカの巨大な消費力に依存し、
日本をはじめ、世界各国は作ったものをアメリカに売り、
売って得たドルを、今度はアメリカの国債を買う形で、
アメリカにドルを戻す、アメリカはまたそのドルで、
さらに消費を続けるという循環を続けてきました。


国債は紙切れです。
何も実体を伴いません。


アメリカはドルが基軸通貨となっていることを利用し、
ひたすたらドルを印刷し続けることで、
国家破綻を防いでいます。


しかし、このドルは実体経済を伴わずに発行されているものですから、
実質的な価値を伴わない完全なバブルです。


この巨大なバブルが弾けようとしています。
これは100年に一度の危機なんかでは済まない、人類史上最大の危機です。

ワークシェアリング

日経ネットに、「ワークシェアリングは「働き方の革命の1つ」 舛添厚労相 」と言う記事がありました。

舛添要一厚生労働相は13日午前の閣議後の記者会見で、今春の労使交渉の焦点に浮上しているワークシェアリング(仕事の分かち合い)について「働き方の革命の1つ」と述べ、一定の評価を示した。そのうえで「(景気が)苦しいときも分かち合う、良いときも分かち合うということでないと社会的連帯を保てないと思う」と語った。

 ワークシェアリングの例として、仕事と家庭を両立させるために女性が働く形態を変えることにも触れ「働き方を見直す時期に来ている」と述べた。


製造業を中心とした企業が、雇用を生み出す事が難しくなっています。
超優良企業、日本が誇る世界的企業である、トヨタソニー東芝も赤字になる時代です。


製造業はその売上げの多くを海外、特にアメリカに依存してきました。


そのアメリカが一気に消費力を無くし、物が売れず、急激な円高となり、
そして日本国内でも生活不安が高まり、物が売れないという構造的な不況下において、
唯一できる短期的な対策は業務の効率化、人件費カットです。


働く側としては、働く日が減って良かったということは当然無くて、
当然仕事量が減れば、収入も減ります。(コストを減らすのが企業の目的です)


望むと望まざると「ワークシェアリング
「ダブルジョブ」はメインストリームとなってくるでしょう。


では余った時間に何をするのか?
どんな仕事があるのか?
これからの時代、どんな仕事が人の役に立つのか?
世の中を良くして行く事に繋がるのか?


誰もが自分のお金の事だけを考える世界を創造してみてください。
どんな未来が待っているでしょうか?


どうやって、舛添厚労相は、

「(景気が)苦しいときも分かち合う、良いときも分かち合うということでないと社会的連帯を保てないと思う」

このイメージを具現化するのでしょうか?その政策、具体的計画はいつ発表されるのでしょうか?


もう政治家や既存リーダーには期待できません。
スピードが遅すぎます。


私たちは、自らの手で、
この時代の危機を根本から解決する仕事、商品、産業を生み出す事に集中していく必要があります。

パラダイムシフトが必要な理由

一握りの支配権力にコントロールされている現代の金融資本主義は、
愛のない、容赦のない競争資本主義であり、節度を忘れた欲望資本主義、消費資本主義であり、
サステナブルとは正反対の地球と人類の未来を破壊する自滅的資本主義です。


その根本の原理は、人間のエゴの欲求、刺激を求める欲望であり、競争意識の煽動であり、
エゴの支配成長欲の正当化ですから、これが行き着く先に待ち受けているピラミッド構造に組み込まれた個人と社会、国家には希望がありません。


若者がこのような社会の未来に、希望を持てないのは当然です。


人間には素晴らしい精神がある反面、
文明の中に身を隠している動物レベルの野蛮な精神もあるのが事実です。


この野蛮な精神が金融論理、利益論理で、戦争や大恐慌までも引き起こし、
戦争や紛争までもがビジネス化されています。


このような社会の中で、生産、設備、投資過剰の物余り状態となり、
製造業中心の経済は成長の限界が明確になり、一方で政治のリーダーシップにも期待が出来ない状態です。


このような危機迫る現代において、どのようなビジョン、ロードマップによって危機をチャンスに反転させれば良いのでしょうか?


環境負荷の掛からない、一部の有力者だけではなく、一般の個人単位でも参加できる、
既存のパラダイムを根本から変化させる商品、資本主義モデルはあるのでしょうか?


それが認識商品、認識経済、認識産業です。

第七段階としての認識革命

Noh Jesu氏は、環境問題を、経済成長・雇用創出問題と繋げて同時に解決する方法として、
「認識経済」「認識産業」を提唱しています。


認識経済は、現代人の固定観念となってしまった「分離エゴ意識」「人間利己主義」を超え、
「環境は自分そのものである」と言う共通認識を促す事のできる、
体系化された論理とイメージから成る「認識商品」を中心に、
環境破壊をすることなく、経済の循環や雇用創出を活性化させる事ができます。


「認識商品」が広がり、
「すべてがつながっているひとつ」の世界を、明確に論理とイメージで理解することが、
一般化、常識化され、その新しい認識方式を得た人々が、そのイメージを応用、活用し、
今までは全く次元の異なる商品を生み出していく、その全く新しい経済の循環が「認識経済」です。


「自分」と言う存在を、「自分以外の世界」との関係性の中でどのように規定し、
自分と自分以外の世界の世界にどのように意味づけ、価値付けをしていけば良いのか。
それを明々白々に理解した上で、他者や自然との関係性を築いていける個人になる、
そのための教育プロセス全てが「認識商品」と言えます。

第六段階 環境問題のもうひとつの側面

環境問題は、経済の問題、
グローバル資本主義の経済構造の本質的な問題を解決しない限りは、
絶対に根本から解決することが出来ません。


もともと環境問題は、科学技術革命の後、
産業革命以降の産業社会構造の中から生まれてきているため、
西洋の近代における物質科学文明がもたらした実物経済、金融経済、
資本主義システムの構造的問題と深く関係しています。


世界の問題との関係を見ても、人口増加、食糧問題、貧困、飢餓、石油利権の問題、
資源獲得の問題、ウォータービジネスの問題、南北問題など多岐に渡ります。


これらの根深い問題は、人間の意識と産業構造のゆるやかな転換を推進し続けることで、解決する他はないでしょう。


そのためには、物質経済に依存せずに、
持続発展が可能な経済成長と資本循環を起こすことができる、
新しいマーケットと産業を創出し、物質文明、金融経済からの脱却が必要です。

第六段階 「すべてがつながっているひとつ」

個人、組織、国家が罪意識で環境問題を考えるのではなく、
主体的に行動できるようになるためには、
人間が、地球がどれほど素晴らしい存在なのか、
宇宙自然環境すべてとつながった自己イメージを、
いまここで明確に感じられるようになる事が必要です。


そしてそこからくる使命感と地球自然への真実の配慮があって、
初めて本当に利害損得を一切超えて、すべての分離エゴ意識を超越したところで、
ひとつの地球運命共同体意識、ガイア意識を共有する事ができます。


現代人は、物質文明の中で自然との関係性が薄くなり、感性が弱くなり、
自己中心的になっていると言われています。

環境問題の本質的な原因は、
人間と環境を分けて考えてしまう「分離エゴ意識」と、「人間利己主義」です。


ですから、その分離して認識してしまう思考体系の再構築を通して、
人間の立場だけではなく、植物の立場、動物の立場、水、空気の立場、土、森の立場など、
様々な立場に自由自在に観点の移動ができるように、地球や宇宙全体が自分そのものであるという
「すべてがつながっているひとつ」の世界を、明確に論理とイメージで理解することです。


そうして初めて、
「人間の生存のために環境問題を解決しようという、人間利己主義の発想レベル、エゴ意識」を超え、地球自然との真の共存共栄、共生の未来の構想と夢、ビジョン、バイタリティ、アイデアが生まれてくるのです。


このエゴ意識を超えずして、環境問題を本質的に解決する道はありません。

第六段階 環境問題を考える前に重要な事

環境問題を考える際の大前提として、
人間や地球、生命に対してどのような価値観を抱いているのかが、
本質的に何より大切なのではないでしょうか?


「人類が生み出した罪だから自業自得」
「どうせ解決しない問題」
「すでに手遅れだ」
と真摯に向き合う事をあきらめ、
無責任に受動的に捉えるだけのニヒリズムの観方もあります。


これは一部の人だけですが、
気をつけなくてはならないのは、
人間の尊厳性に対する誇りや誇り、人間の可能性に対する信頼と希望、
人間の生命性に対する感謝と感動が自分の内側から、自然と湧き上がってくる心がなくては、
「〜しなければならない」「〜でなければならない」と言った、
罪意識をベースにした考え、行動、他者への押し付けとなってしまい、
すぐに体も心も疲れて、不健全で、不健康な精神状態になってしまう可能性が高くなります。


そのような個人と組織が「地球に優しく」と言っても、
モチベーションが続かず、団結力に溢れた持続的な行動は長続きしまん。